男「家の蔵に一冊の地獄絵の画集がころがってて...そのうち私は地獄絵があるからには極楽の絵があるに違いないと思って...地獄絵はありとあらゆる地獄を克明に描けているのに極楽の絵は実に単調なんです...どう見ても白々しくうそっぱちにしか見えない。地獄の責め苦を見てると確かに苦しみが伝わってくる、しかしご来光や極楽の絵を見てても気持ちの良さはまるで伝わってこない、そこで気が付いた極楽の絵に快楽のあるわけがない。何故なら快楽というのは欲を満たした時に得られるもので欲を満たすということはまさに悪に他ならないからです。極楽に快楽のあるわけがない...極楽に快楽はあり得ない、極楽に一体何があります...極楽には無がある、無としての快楽はある、しかし無は無でつまり極楽はない私はそういう結論に達したんです」 僧侶「それを涅槃というのだ。無ではなく時間、空間のない永遠の停止、それこそ快楽以外の何者でもない」 男「死んでも意識はありますか。涅槃の境地に意識はありますか。もし意識とは時間と空間に関する意識とすればそれは無い。もちろん快楽の意識もあるわけはない」 男「極楽も地獄もない、あるのはこの現実だけだが、そのようにとらえられた私の現実に於いては、おきての一切は成立しない。なぜならおきてとは罪と罰の中間にあるのに私の現実には罪も罰もないからです」 僧侶「そんな君の現実とは無秩序以外の何ものでもない、それでどうやって人間は生きていける」 男「人間は生きる必要はない。我々は人類は存続すべきであるという妄念に囚われすぎてる、しかしそんな妄念のある限りおきてはアメーバーの様にしぶとく生きてゆく。私はそんなおきてを認めない。仏の無に対抗するにはそれしかない」 僧侶「君は狂っている」 男「古代インドには最高の行は息をしないことであるとして、自ら窒息死した行者の死体が高山にごろごろしていたそうですね」 男「私が仏像に惹かれるのは、全ての仏像に共通のあの不思議な笑いの為です。実にあれは無そのものの表情だ...あれは自分の教えがみな嘘であることを知っている顔です」 |